びっくりした

画像

このところ年のせいかあまりびっくりする事が少なくなりましたが、最近スーパーでびっくりするものを見つけ買つてきました。
写真のような小瓶に入った熱帯魚風の小さい魚の入ったものです。
直径7cmほどの小瓶です、この中には水が入っており底に少量の砂と水草、そこに2匹の
グッピー風の魚が入っています。
普通こんな小瓶に小魚とはいえ2匹も飼えるとはとても思えません、さらにスーパーで生きたまま販売しているなんてとても「びっくり」しました。
小さい金魚鉢に金魚を飼っても酸素を入れるポンプが必要ですね、でもこれには何も付いていません、スーパーで売るという事はメーカーから問屋-小売店に来るまで少なくても数日かかるはずです。
当方で買つてきたものを早速蓋を開け付属の粉状の餌を入れてみました、蓋を開ける時も魚は逃げず瓶の水の上部に泳いでいてまるで餌を待っている状態でした。
餌を入れると夢中になって餌を食べています、ここでもびっくり。
説明書によると
製品名は「バイオアクアリウム コッピー」といいます。
このびっくりした小瓶の小魚のシステムは次のように書かれていました。
*容器の中はバイオスフィア(生物圏)が形成されています。コッピーと水草が酸素と炭酸ガスを交換し合い、コッピーの排泄物は、底砂に付着している硝化バクテリアが分解し、水草に吸収され、自然の浄化作用が行われており、このシステムは「小さな地球」と言えます。バランスが崩れると生物は死滅します。自然環境を守り、地球を大事にしましょう。*
以上理屈は解りますがびっくりしませんか、いつまで生きるかな。
ちなみにこの地球は¥980でした、ここでまたびっくり。

もしも貴方が病気で通院又は入院していたら

2007/08/31
人間どんな人でも一生の間怪我をしたり病気になったりしない人はいないでしょう。
このところ新聞やTVで病院の保険不正請求が見つかって「病院や医師の保険指定が取り消された」との事件をよく目にします。
でも貴方は自分がその病院に入院や通院していた場合自分の支払い額が予測出来ますか、
普通国民健康保険に入っている人が病院に通院すると病院への支払いは個人の場合負担は3割です。さらに高度な医療を受けた場合は相当な高額になります。
でも貴方は自分がその病院に入院や通院していた場合自分の支払い額が予測出来ますか。
最近こんな場合の病院がどうなるか、見本みたいな事例が新聞に出ていましたので一部抜粋して書き出します。私には大変参考になりましたので皆さんもご一読下さい。
読売新聞(8/31)より
「静岡県藤枝市立総合病院(病床数654)が保険診療が認められていない一部の歯科治療で不正に保険請求していたとして、厚生労働省と静岡社会保険事務局は、健康保険法に基づき、同病院の保険医療機関の指定を10月1日から取り消すと発表した。取り消し期間は5年間だが、住民への影響が大きいため、厚生労働省などは改善計画を提出させ、1か月で再指定を認めることも検討する。病院側は、取り消し期間中の診療を救急患者や計画的治療が必要な患者に限る方針を示した。厚労相の諮問機関である静岡地方社会保険医療協議会が28日、指定取り消しが妥当と答申、同局が処分を決めた。併せて同病院歯科口腔外科の歯科医2人の保険登録を29日から取り消す。同病院は、金丸仁病院長ら12人を減給10%(6~1か月)の懲戒処分とし、早期の再指定を申請することを明らかにした。
**取り消し期間中は全額が患者負担となるため、病院側は新規治療を原則として断る。急患や計画的治療が必要な患者は、保険診療と同様に原則3割の自己負担とし、差額分は病院側で負担する**。1日平均1400人の外来患者、500人の入院患者はともに半減するとみられる。」以上が新聞記事のあらましです。
これで判ったことは、もし自分が保険指定取り消し病院に入院していたり通院していたりした場合は保険指定取り消し期間中は全額自己負担となるということです。
軽度の病気の場合は他の病院に移るとか転院するとかで対処出来ますが、それでも別の病院では新しくいろいろな検査をする事になります(ご存知と思いますがこれには、けっこう時間と費用が掛かります)。でも高度治療中の場合は治療方法とか薬とかさらに大変なことになります。
以上余計な事ですが、自分の場合こんな時どうするか、早めの対処のため頭の一部に記憶しておくことが、最も大事な事だと思います。・・・もう少し生きていたい人、人生は大変です。

原発事故隠しその後のこと

原発での臨界事故という私的には恐怖の事故その後
前回当ブログで書いた後現在までにとうとう北海道電力から日本原発に致る10電力会社での事故隠しやデーターの改ざんが確認されました、まさにお前もかお前もかの大合唱驚き以外言葉もありません。こんな日本に住んでいるなんて、逃げるところもありそうにないのと、そんなに余生も長くなさそうなので諦めるしか方法がありません。
それでも今回の事件で唯一の救いは「やっぱり隠すとやばい」とみんなが思ったことです。マスコミも勉強してだいぶ詳しい事故の内容を連日解説記事と共に書き続けています。
電力会社/マスコミ共飽きずにお願いいたします。でも原発の地元の反応はなぜ記事に出ないのですか、うまい具合に地震が起こりその記事でうまく逃げ切っているのではありませんか、これでいいんですか。新聞各社の記事中に「電力会社はなぜ隠すか」について、最大の理由は「今後の原発立地に対する影響」をあげている記事がありました。現在までの原発立地は地元への交渉がもっとも大変だったようである。誰でも原発の必要性は理解しても自分のところはいやだと言うことらしい、最近は墓地の開発も大変らしい絶対必要なのに自分の側はいやだ、永遠に回答の見つからない問題である、もっとも私自身も両方ともその場に立てばやはりいやだと言うだろう、どうしたらよいか解らない、貴方ならどうする、誰か教えて・・・・・・・・・・・。

原子力発電所事故に見るマスコミの対応を見て

2007/03/21
このところ仕事が忙しくなかなかブログが書けません、お詫びいたします。
年を取ったためではありませんが新聞TV等の原発事故に関する報道を見て毎日毎日
腹のたちどうししです。
事情はすでにご存知と思いますがこんな人たちが原子力発電に関係していたとは
あきれる以上に恐ろしさを感じております。
電力会社はやばそうな事は隠す/無かったことにする、さらに社長は自分は営業系なので
現場の技術関係の事はあまりわからない、等等、後はひたすら頭を下げる、
でも今度の事故は炉心容器の蓋を開けた状態での臨界ですよ、作業マニュアルが間違っていたと言われても理解出来ません。
思わず東海村原子力施設での「ウラン物質をポリバケツとひしゃくで作業していて世界初の
人類が裸眼で臨界を見た」事件を思い出してしまいました。
今の時代一般大人がウラン物質に対する知識がなかったとはとても思えません、それほど日本人は馬鹿ですか。
さらに一社がばれたら続々当社も当社もと発表謝罪。
きりがないので止めますがこんな状態にあるのにマスコミの報道はすこぶる淡々とあったことを書いているだけ、知識が無いからこれ以上の事は書けないのですか、
原発の地元もこれでいいんですか・・
私は原発反対者ではありませんがあまりの事態に恐怖が止まりません。
某国が原発を狙っているそうですが狙われなくても自爆しそうです。
以上ストレスがたまりっぱなしです。

古いプラモはこうして造る

2007/02/06
1.古いプラモは合わせが悪い こんな時は思い切って100番くらいの水ペーパー(A4サイズの大判)をプラ版に両面テープで貼り、例えば飛行機の胴体など左右を合わせるときはその合わせ目をペーパーで左右が合うまで削ります。昔は隙間にパテを盛る方法が一般的でしたがこのように荒いペーパーで大体削り最後に400番くらいのペーパーで削れば殆どパテはいらないくらいの状態に仕上がります。但し合わせ目が大きく欠けている場合はエポキシパテ又はチューブ入りのパテで埋めます。乾燥したら最初は400番くらいのペーパーで削り仕上げは600番くらいのもので削ればOKです。
次に飛行機の場合古いキットは翼が厚いので翼厚を薄く見せるため翼の外側から1cm位をテーパーに薄く削り落とします。こうすると一見翼がシャープに見えるようになります。
2.全体のリベットが目障りのときは
思い切って400~600番のペーパーで削り落とします。ラダーなどの太いミゾは残しておきます。ツルツルが気に入らない人はケガキ針等で適当にスジ彫りをしておきます。
3.全体が形になったならば
スプレーのサフェーサー(出来ればホワイトサフェーサー)を全体に厚めに吹き付けます。充分乾燥後800~1000番の水ペーパーで全体を磨き上げます。部分的に凸凹が目立つときはチューブパテとサフェーサーで調整します。
全体がほぼ満足のいける状態になったならばさらに全体にサフェーサーを吹き付け1000~1200番の水ペーパーで磨きます。
以上が下拵え。
4.後は完成まで一気にいきましょう
下拵えの次は細かいパーツを付ければ80%は完成
後は指定の塗装をします。スプレーガンを使いたいところですが段取りが大変。こんな時は手塗は如何でしょう、種類が沢山あるMrカラーの場合は塗料にリターダーを1瓶に5~10%位混ぜればラッカー塗料がエナメル塗料に変身、これなら筆塗で机の上で手軽に塗装が出来ます。リターダーが入れてあるので筆むらも目立たなくなります。あとはデカールを貼れば完成1丁上がりです。但し古いキツトのデカールは色焼けや印刷があまり良くないので出来れば別売のデカールか余ったデカールから転用することをお奨めします。
以上のようにすれば古いキットも手軽に出来上がり見映えも最高。
次は何を造ろうかなーとなります。
追加
キャノピーはどうする?
古いキットのキャノピーはキズがあったりあまり透明度が悪かったりします。
正式にはコンパウンドで気長に磨くのですが、結構大変です。
気の短い私はこんな事をしてごまかします。
1.キャノピー全体をクリアー塗料で塗ります。これだけで細かいキズは殆ど目立ちません。
2.もっと辛抱強い方は表面だけでも1500番以上の水ペーパーで磨きさらに2000番の水ペーパー又はコンパウンドで磨きます。ここまででかなり良くなります、さらに念のためクリアーを塗ると相当見映えが良くなります。コンパウンドの替わりに最近売り出された宝飾品磨き用のクロスも使い勝手が良いですよ。
*只今ホビーネットワークホームページでお客様放出品セールが好評です。造るモデラーの皆さん下記サイトで一度ご覧下さい。
 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hobbynw/

古いプラモデルは楽しい

2007/02/05
最近のプラモデルは国産、輸入品共何処のものも素晴らしい。
部品の合わせ、スジ彫り、デカール、など殆ど苦労せずに素晴らしい完成品が仕上がります。
こんな訳で最近のプラモデルは誰が造ってもそんなに変わらない作品が出来るんです。
初めての人もちょっと練習して数個造れば充分威張れる作品が本当に出来るんですよ。
モデラーの皆さん、これって面白くありませんよね。
こんな状況を解決するには以前からのモデラーを自認する方に提案があります。
今こそ古い時代のプラモデルを見直してください。
試しにREVELL、FROG、AIRFIX、LINDBIRG、MACHIBOX、など古いキットを見てください。
古ければ古いほど今の目で見ると相当ひどいものもありますね、でもこれが面白いんです。
昔は接着剤や工具、塗料、パテ、など種類も少なくいろいろ苦労がありました。今では沢山の
種類の接着剤、工具、塗料、パテ、など素晴らしいものがいろいろあります。さらに資料を参考にして造りましょう。これで作品を完成させれば貴方はみんなに自慢出来る立派なモデラーです。
これで素材加工のだんかいから完成までとても充実した時間が貴方を虜にします。
あえて言わせてもらえば「新しければ良い模型が出来る」これは当たり前、「古い模型を造ってこそ真のモデラー」以上是非お試しを。 久しぶりにLINBIRG1/48のスカイレイを作りました、5日掛かりましたが充実した嬉しい時間を味わいました。一人で自慢。
次は何を造ろうかな。

ジオラマで学んだこと

2007/01/09
ジオラマに拘わって思ったこと
メーカーを巻き込んでジオラマが広がって来ると日本のプラモメーカーもこぞってスケールモデルを作り始めました。
そんな状況からプラモメーカーには2種類のパターンがある事が解りました。
一つは会社を立ち上げたときその目的の一つに利益以外に開発する商品に趣味があったという事、もう一つの方はその目的が殆ど利益を追求するという一点にあるということ、その結果
最初の利益以外に商品に趣味があった方のメーカーの製品はシリーズの最初から次に続く製品は形は違っても必ず前の製品に何か新しいアイデアを加えているということ、もう一つの利益がすべてと思われるメーカーの製品は最初の商品から続く次々出される製品は殆ど形が違うだけの製品だということ、以上のような違いがその時代見事に見かけられました。
実例としてその当時流行していたミリタリー関係の製品に2社の典型的なパターンが見られます。A社の製品は最初の製品が出来てからその後の製品には次々と新しい試みが加えられて行きました。最初から数作目の製品には新しいキャタピラが、その数作目の製品には製品の表面に梨地が表現され、更にその数作目の製品には溶接の表現が、そんな新しい試みが次々と加えられて行きました。
一方B社の方は最初の製品から50作目になっても出る製品は形が違う商品で私の知る限りではそのシリーズの100番目の製品も同様な形の違うだけの製品でした。
ここまで来るとお見事という以外言葉がありません。
この2つのパターンの会社はそれぞれ最初のパターンの会社は模型専業で始まった会社、後者の方は玩具系の会社が作った会社に多く見受けられます。
以上の状況は現在でも数社のプラモメーカーで見受けられます。
このような事は現在のこの業界の停滞の一因ではではないでしょうか。更にこの傾向はメーカーの代表者の世代代わりも原因の一つかもしれません、なぜなら代表者の替わった会社の
社長が平気で以前はあまり模型には興味がなかったと言われたのを聞いたことがありました。嘘でもこんな事は言って欲しくありません。是非止めてください。
私自身模型メーカーとは利益の他に何パーセントでも良いから新しい事を製品に加えて行く会社であって欲しいと思うのです。
なにか楽しい事を書こうと思っていましたが、新年早々おやじの愚痴になってしまいました。
ごめんなさい。
今日はこれまで、次から頑張ります。





あるモデラーのお父さん「斉藤茂太」さんの訃報を知って

2006/11/27
著名な歌人「茂吉」の息子精神科医の「斉藤茂太」さんの訃報を新聞で知りました。
茂太さんは、私としては「茂太さんの息子斉藤章二さん」のお父さんとしての認識でした。
現在章二さんは精神科医としてお父さんの病院をお継ぎになっているようで、たまに模型誌などで噂を伺う状態ですが、当方が笹塚で模型店を営業していた時分はまだ学生さんで時々学校の行き帰りでしょうか時々ばあやさんとおいで戴き数々の模型をお求めいただいておりました。なかでも当時タミヤ1/100シリーズのF-4Eファントムが発売になったとき自衛隊のファントムを全部作るんだと120セットほどお買い上げ戴いたときは本当にびっくりしました。お父さん似なのでしょうか息子さんも飛行機が好きなようでさぞお父さんも楽しく嬉しかった人生だったと思われます。
趣味というのは不思議なもので世の中父親が模型の趣味をもっていても必ずしも息子も同じ趣味をもつということは40年以上模型を商売していました私も案外少ないという事例を沢山見ています。
理由は解りませんが普通お父さんは息子と同じ趣味を楽しみたいと思う方が多いのではありませんか、息子が興味を持たないと嘆いている親父さんを沢山見ています。そうゆう私の息子も全く模型には興味を示しませんでした。貴方のところでは如何ですか。
今日は斉藤茂太さんの訃報を知りお悔やみと共に人間の趣味の部分についての思いを記してみました。

えんどう親父の模型語り8

2006/11/25
「ジオラマ展」の続き
会場は東京駅大丸デパートの特設催事場を使わせていただきましたが、会場設営スタート直後デパート側から戦争場面のジオラマは問題があるとの指摘を受け、急遽会長とともにデパート側に説明に向かいました。なにしろ初めてのジオラマという展示会で開催の趣旨など大変苦労いたしました。先方は展示が戦争場面が多いということで一般客の評価を大変気にしており説明に大変苦労しました。最終的に「平和を語るには、戦争を知ることが大事で、戦争の道具である軍用機/戦車/軍艦等のジオラマにより逆に戦争の悲惨さを知ることが平和の有り難さを知ることにつながる」との説明にご理解をいただきました。後日開催した東武デパートの時は展示する大きなジオラマを作る場所をある宗教施設の部屋をお借りして作りましたが、この時も大丸の時と同じように戦争場面の問題の指摘を受けこの時も女性の宗教責任者様と一時間位話し合いをして、なんとかご理解をいただくことが出来ました。
当時のことを思い出してみるにつけ、新しいことを始めるときは今日では「何で」というようなことを経験しなければならないことを痛感します。
お陰様でジオラマ展は大成功でたくさんのお客様にご来場いただき無事終了することができました。後に大丸他のデパート数軒で連続して開催しましたが何れも大成功で今でも懐かしい思い出の一つとなっています。
続く
Hobby-Networkのホームページへは「サークルリスト」から簡単に移動できます。

えんどう親父の模型語り7

2006/10/29
話は前後しますが1970年頃私としては初めての海外旅行の機会がありました。仲間は同業の模型小売店主の面々(今では数人の方が別世界の住人になられています。合掌。)行き先はヨーロッパ。イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、チエコスロヴァキア、ベルギー、を2週間で回る大変な強行軍でしたが大変貴重な旅行でした。
特に目についたものは、メタルフィギュア、バキュームモデル、情景モデル、で初めて見るものとして今でも強く記憶に残っています。
帰国後博物館で見かけた情景モデル(正確な言葉ではないかもしれませんが)いわゆるジオラマを、日本でも一般モデラーに広めたく皆でいろいろ話し合いました。「ジオラマ展」を開こうということになり共通の問屋さんと共にプラモメーカー各社に協力を御願いに回りました。
当時はジオラマと云っても何処のメーカーも初めてのことなので説明に随分苦労しました。最終的には問屋さんのアドバイスもあり最初にタミタさんに協力を御願いに行きました。結果は好意的なご協力をいただき後はトントン拍子にほぼ全メーカーに参加していただくことになりました。ところがタミヤさん以外は殆どジオラマに対する理解が充分でなく殆どメーカー毎の特徴分野の製品を使ったジオラマは殆ど私たち小売店が請け負い各店のお客さまを総動員して造ることになりました。例えばヒーコーキメーカーのものはヒコー場のジオラマ、車のメーカーのものはレース場のジオラマなど実に苦労いたしました。なかでもスターとしたてのウォーターラインは軍港のジオラマを造りましたがかなり大きくなり特に苦労した思い出があります。造る方も初めて、材料は当時は鉄道模型のレイアウト用の材料以外は何もなくやむなく当時でもとても高価な「盤景」用の造木、色砂、などを使用、とてもお金がかかりました。今なら「色おがくず」「ブッシユ」など安価でいろいろな材料を買うことが出来ますが、本当に何もない状態での作業はお手伝いを御願いしたモデラーの方々今更ですが「本当にご苦労様そして有難う御座いました」。
続く
Hobby-Networkのホームページへは「サークルリスト」から簡単に移動できます。

えんどう親父の模型語り6

2006/10/16
プラモデルが日本での最初の大ブームはあの国際救助隊「サンダーバード」でした。
なにしろ商品が小売店ではいくつあっても足りない状態でそれはそれは大変なものでした。
一般のお客さまから見れば「なぜもっと沢山仕入れないのか」こんな見方が大多数であったと思います。
なぜ小売店は多くのお客さまの要望に応えられないのか。
この理由はこの時から今も続く日本模型界小売販売業者の地獄の流通事情がその理由です。
今でも書店に行くと偉い先生の書かれた小売店経営についてのノウハウ本が沢山出ています、そのなかには良い経営は商品回転率が高い程良いと書かれています。解りやすく言うと売れ残り商品が出ないように商品を仕入れる、また売り切れによる販売機会損失を少なくする、出来ればコンピューターを使って売り切れる前に自動発注する自動発注方式の導入が望ましいと書かれています。もちろんこの他にももっといろいろなノウハウが書かれています。
頭の良い読者はお解りと思いますが、「商品の仕入れる量はなるべく少なくして、なおかつ売り切れてしまう前にタイミング良く追加仕入れをする、」これが良い仕入れであると書かれています。現実的には、小さな小売店では例えば売れている「サンダーバード」は10個位ずつ仕入れ、在庫が2~3個になったら追加で仕入れる(コンピューターで在庫管理をしているお店はその商品の在庫が2~3個になったら自動的に問屋に追加注文を出す)これが売れ残りを出さず売り切れ品を出さない良い仕入れ方法だという事です。
こんな方法が出来れば誰でもそのとうりにします。でも出来ません。
なぜか、こういう人気商品は小売店が問屋さんに何個注文を出しても問屋さんが決めた商品数しか仕入れる事が出来ません。(もっとも通常の商品はお金があれば何個でも仕入れる事が出来ます。)更に問屋さんから小売店が仕入れさせていただける数は、通常その小売店が1ケ月にその問屋さんからいくら仕入れているか、更にその問屋さんの営業にどう貢献しているか、など様々な理由によります。ですからいくらお金があってもその商品を沢山仕入れる事は出来ないのです。在庫が少なくなったら自動で仕入れるそんなこと出来る訳がありません。
そんな訳で小売店は、日々問屋さんの販売員に愛想良くして何とかそのような商品を仕入れさせていただけるように地獄の問屋様へ買いに行かせていただいているのです。
今回はサンダーバードのブームから始まった小売店地獄の日々のひとこまでした。
続く

えんどう親父の模型語り5

2006/10/15
しばらくプラモデルの飛行機の話が続きましたが販売店側から見たこの頃のプラモデル業界は、金額面では飛行機ではなくそれ以外のプラモデル主に自動車モデルが主力でした。当時の自動車模型は今のようなスケールモデルでなく殆どはモーターで走らせるタイプのいわゆるモーターライズ仕様でした。しかし残念ながら実際に購入する子供達が走らせるように作るのは容易でなく私自身も完璧に走る自動車模型を完成させた記憶がありません。なぜか、今考えるとその頃のチャチなギアボックス、電気コードはセロテープで留めろなどのいいかげんな構造と説明、さらに電源が今と違い電池も性能の低いマンガン電池だけ(当然今ではあたりまえのアルカリ電池などはありません)これではいいかげんな作りの模型は走る訳がありません、そういえばタイヤもムクの重たいゴムタイヤ、これではなんとかうまく作り上げてもヨロヨロ走るのがせいいっぱいですね。
私もうまく走った自動車模型は山田模型のコメットX号だけですね、これはモーター直結でプロペラを回し風力で走らせ更に車輪もプラ成型品で今考えても良く出来た自動車模型だと思います。随分長い間販売した思い出があります。今でも販売されているのでしょうか。
こんな時代当時のモデラーはうまく出来ないのは自分のせいで、キットやメーカーが悪いと言う人は殆どいませんでした。今だと殆どの人は出来なのはキットやメーカーが悪いので自分ではないと言うでしょうね、確かにその部分の理由もありますが、私は模型の楽しさは自分の頭と手でなんとか完成させるという手続きが大部分で、最近の完成品のコレクションではないと思っています。こんなお金さえあれば集められる(楽しめる)風潮では将来が心配です。皆さんはどう思いますか、この点わたしがが今後の模型業界の行方が心配される最大の問題点です。メーカー、モデラーなど皆でアイデアを出し合いましょう、御願いします。

えんどう親父の模型語り4

2006/10/7
この頃マルサンのマッチボックスシリーズと並んで飛行機プラモの人気シリーズに三共のピーナッツシリーズがありました。当時のモデラーなら1度は手に取った覚えがあるはずです。
そのピーナッツシリーズの製品リストを入手しましたのでお知らせします。貴方はこの中でどれを作りましたか忘れられないものはどれですか、若い頃の記憶を思い出してください。
三共ピーナッツシリーズ製品リスト
1.零戦 2.零観 3.F-104 4.飛燕 5.隼 .6.赤とんぼ 7.疾風 8.二式 9.雷電 10.P-51 11.97艦攻 12.セントルイス(NYP) 13.ME109E-4 14.ニューポール17 15.96艦戦 16.ハリケーン 17.震電 18.Ju87B 19.スピットファイアー(Ⅴ) 20.晴嵐 21.烈風 22.ロッキードP-38 23.月光 24.天山 25.100式司偵 26.コルセア 27.シーホーク 28.ホーカーハンター 29.サンダーボルト 30.神風 31.Fw190D-9 32.銀河(メッキ) 33.ホーカータイフーン 34.セスナ175 35.紫電改 36.エアロコマンダー680 37.ダグラススカイホーク(A4D) 38.B-25B 39.彩雲 40.彗星 41.ノースアメリカンT-6Gテキサン 42.Hs129D 43.ME109G .44.ブリュースターバッファロー 45.He100 46.T-38 47.ボーイングB-17F 48.P-40N 49.He113 50.F6Fヘルキャット 51.97戦 52.B-24J 53.一式陸攻 54.97大艇 55.99艦爆 56.5式戦 57.F-11F-1 58.96陸攻 59.連山 60.F-100 以上60種類いくつ思い出しましたか、私は正直こんなにあったの-という感想です。
今回のリストはJ.A様からのご提供です。有難う御座いました。
続く

えんどう親父の模型語り3

2006/10/6
日本でのプラモデル業界初期の話がしばらく続きます。
この当時のマルサンの業界に対するご努力についてはどなたも異論のないことだと思います。
なかでも今では あたりまえの「プラモデル」と言う言葉も本来はマルサンの社長の発明で当然この言葉は登録商標として登録されています。従って当時はマルサン以外はプラモデルと言う言葉は雑誌などでは使うことが出来ませんでした。しかしモデラーなどの通常の会話では普通の言葉として使われていました。後年マルサンの社長のご厚意でこの言葉を自由に使って良いと言うことになり現在のように普通にプラモデルという言葉が使われることになったようです。
この当時のプラスチック業界はマルサンの1/100、1/144、のマッチ箱シリーズ、三共のピーナッツシリーズ、三和の飛行機シリーズなどたくさんのメーカーが続々誕生した時代でした。
もちろんモノグラム、リンドバーグなど海外メーカーのコピーも出回っていた時代でした。私自身充分な記憶がありませんがYMC(ヤマダモケイ)のような今では超骨董品と言われる様なメーカーも存在していたようです。この会社の製品には1/100の日本機シリーズ、10年式艦戦、13式艦攻、88式偵察機、89式艦攻などよだれが出そうなものがあったそうです。しかしかなり短期間で会社がなくなったようでとても残念です。今考えると時代的に早くできすぎた会社だったようでとても残念です。どんな良いアイデアで始めた会社も時代にマッチングしないと評価されないという典型的なパターンであったようです。
追加
前回のステーションホビーの記事中お店の場所が新橋駅前と書きましたが当時同店に通われたお客さまに正確には「始めは新橋駅表側の文房具屋の右奥のお店、その後新橋烏森口のお店に移転されたようです。」以上お客さまからご連絡いただきましたのでご報告いたします。・・KT様ご連絡有難う御座いました。
続く

えんどう親父の模型語り2-5

2006/10/05
マルサンの金型の行方
これはいろいろ問題があって今となってはなかなか本当の話は出てこないと思います。
なぜか、一つの会社が倒産又はクローズする時は殆ど急な話場合が多く例えばその会社が
プラモデルメーカーだとするとその会社の資産は不動産以外は金型も資産に入ると思います。そんな金型ですから突然会社の倒産にあった会社の関係者が金型を持ち出すという話が沢山あります。でもその金型でプラモデルを生産すると・・お解りですね、そのプラモデルを生産された方が持ち出されたと言うことになります。了解の上に持ち出した場合以外は当然大問題になります。マルサンの場合/グンゼ(REVELL)の1/32雷電他の場合、その後まともに再生産されない事情はこんな状況があるからだと言われています。
ちなみにブルマークは元マルサンの社員が造った会社だそうです。更にアルカンシェールというブランドでマルサンのKITが出たことがありますが製造されたのは韓国/中国だそうです。
そんなわけでこれからもマルサン、日本で造った金型のREVELLものは正式に再生産されることはないだろうと思います。
ステーションホビーさんのこと
このお店は当時のプラモデラーは知らない方はいないだろうと思いますが
当時お店は新橋駅前にあり(場所はご近所に移転されたこともあったようです)のちに錦糸町の駅ビルに移転されました。
私の知っているこのお店は独自の輸入ルートを持ち殆ど世界中のプラモデルを扱っていました。ただ小さい店舗なので商品についていろいろ聞くと怒られると当時のお客さまによく聞きました。当然事前に商品の予備知識を勉強してから買いに行くというようなお店でした。
今考えると店員さんは忙しいのでいろいろ質問されても困るということだったと思います。
何れにしてもこの当時日本一のプラモデル店であったことは間違いありません。
私ども小売店もいつかはステーションホビーさんに売っている様な商品を売れるお店になりたいと思っていました。
その後私もステーションホビーさんが最後に錦糸町のお店を閉店されるときに残ったバキュームフォームキットを全部まとめてお譲りしていただいたことが思い出されます。全部でなければだめだということで買うことになりましたが、その量も大量で確か2トンのトラック1台満杯だったと記憶しています。おかげてその後バキュームフォームKITについては随分お客さんと楽しい時期を過ごさせていただきました。その後10年以上たってバキュームフォームKITの限界が見えて来たので各国のバキュームフォームメーカーのクローズと同時期にその取り扱いも終了しました。後年お客さまからえんどうはなぜバキュームフォームKITを扱わないのかと聞かれることがありますが、話が長くなるので「以前扱ったが飽きたのでやめました」と答えていました。「うそ言ってごめんなさい」今頃になってのお詫びです。

えんどう親父の模型語り2-4

マルサン倒産事件
この事件は私たち業者も寝耳に水の出来事でした。
新製品の出来も当初より格段の仕上がりで今後の期待が大いに待たれる時期、あまりにも突然の出来事でした。
将来同社がトップレベルの会社になったかは誰にも解りませんが少なくとも技術だけは着実にアップしていたと思います。
後日マルサンのトップなどからの情報を総合すると同社のメイン銀行とのトラブルで突然の取引停止によるものだったようです。細かいことは書けませんが何時の世にもある銀行の横暴な行為が引き金だったようです。ちなみにその銀行は関西系の大手都市銀行です。このような企業と銀行のトラブルは有名なトヨタ対某銀行の話など数えきれません。
ちなみに初期の頃、模型メーカーは、まだ銀行が金を貸しませんので、まず始めに新製品の企画やサンプルを模型問屋に持ち込み、そこでそのキットの注文をもらい、更にそれが出来たときの商品代金を手形でもらい、その手形を銀行に持ち込み換金し、その資金で金型や製品を作ったそうです。創業者の決意が想像するだけでも頭が下がります。・・ものすごい話でしょ。(当時模型業界のお金の面での序列は今の様に1番上はメーカー、2番目は問屋、こうゆう順番でなく1番目は問屋、2番目がメーカー、という位置ずけであったそうです。)
何時の世も日本の銀行は、新しいものに対する理解がなく厳しく対応していたようです。
続く

えんどう親父の模型語り2-3

2006/10/03
昭和30~40年台のプラモデルの流通状況
この頃はまだ現在のようなプラモデル系の問屋みたいなものは少なくプラモデルは主に玩具系の問屋から流れていたと思います。
又最近は殆どなくなったようですが当時問屋には3つのタイプのものがありました。
プラモデルの流通経路は
1.プラモデルメーカー ・・2.製問(1次問屋)・・3.2次問屋・・4.3次問屋・・5.小売店
以上の順番で流れていました。
当然2.3.の問屋から直接小売店に流れる方が多かったと思います。でも当時模型の様な商品はおもちゃの様な商品より商品の地位が低く扱いは大手のおもちゃ小売店よりむしろ小さい文具店、駄菓子屋、小さい町のおもちゃ屋、模型屋、そんなところの扱いの方が多かったと思います。
東京では模型専業の2/3次問屋さんは週に1~2回車に新製品を積んで私どもの様な店を巡回して卸売りをしていました。当時はおもちゃ問屋も同じような販売形態をとっていました。
ところでこの頃の輸入プラモデルはブランドとしてはリンドバーグが1番記憶に残っています。
後年リンドバーグ社の創業者社長にお合いする機会があったときにお聞きしたことですがアメリカではプラモデルのシュリンクパックをいち早く導入したのはリンドバーグ社だとのことでした。理由はプラモデルをスーパー(大手量販店)で扱ってもらうためにboxを空けられたりすると部品の紛失等があり困るのでその問題解決のためにシュリンクパックを導入したとのことです。おかげで当時は大変良い販売実績を得られたとのお話でした。(キャラメルboxもその頃考えたられた様です)。後年他社もそれに追随するようになったようです。
リンドバーグ、AIRFIX、HELLER、など殆どは中小の貿易会社が輸入して玩具、模型の問屋に流していたようです。現在のエージェント方式ではなかったように思われます。
たしかエージェント方式はグンゼ産業-REVELL、アサヒ玩具-AMT/MONOGRAM、が始めだったのではないでしょうか。
尤もステーションホビーさんは独自のルートをお持ちだったようでそれはそれは私どもの様なお店からは別世界のお店でした。
”各地のお客さま方は昔のキットをいろいろなお店から見つけておいしい思いをされているご様子、今のものから較べれば決して造りやすいキットではないと思いますが、しまい込まないで今の材料と技術で挑戦して下さい。今のものでは味わえない素晴らしいホビーを味わえられると思います。”
続く

えんどう親父の模型語り2-2

2006/10/03
マルサンの塗料について
私の記憶ではビン入りのものだけだったと思います。
もしかして缶入りもあったかもしれませんが私は扱っていません。
この当時の塗料は全てつやありタイプだったのでつや消しタイプを造るためにいろいろなものを
使いました。
例えば「シッカロール」「歯磨き粉」「り歯磨き」「やに取り歯磨き粉?」このては少々臭いが
残りものによっては粒子が粗いのが難点でした。結局薬局で売っている「炭酸マグネシュウム」が粒子が細かく臭いもないためベストで随分長い間使われました。但し「炭酸マグネシュウム」は薬局で箱入りでの販売のため我々小売店が少量に小分けして売りました。
続く

えんどう親父の模型語り2-1

2006/09/29
当時のプラモ用塗料の状況について
輸入品の塗装説明書には今と同じように使用するペイント名又は番号が書かれていました。
例えばREVELL-レベルペイント、AIRFIX-ハンブロール、など
外国製KITが輸入され始めの頃は何処のメーカーの塗料も輸入されていませんでした。
しかし一部の個人ベースで輸入が始まってくると、キットの輸入商社が塗料も輸入を開始しました。
輸入塗料は(ハンブロール-共和バルサ?)が一番始めだと思います。それ以外のものは正式に輸入されることはなかったと思います。
国産塗料の発売順序は一番目がマルサン、二番目がピラー、三番目がレベルカラー、四番目がタミヤカラーだと記憶しております。
塗料の性質は
マルサンはラッカー、ピラーはラッカー、レベルカラー(グンゼ産業)はラッカー、タミヤカラーはエナメルです。
但しタミヤカラーはアメリカのパクトラ塗料でそのほかのものは全て日本製の塗料です。なお現在のタミヤのエナメル塗料、アクリル水性カラーは日本製です。
現在はご存知のように日本国内で流通している塗料は「Mrカラー-旧レベルカラー/グンゼカラー」と「タミヤカラー」の2ブランド品が主流だと思います。
グンゼ産業のレベルカラーはアメリカのものとは違い日本独自の調色による日本製塗料です。残念ながら(マルサンカラー-東邦)、ピラー、は殆ど見ることはありません。
輸入塗料もハンブロールを時々耳にする程度で殆ど流通していないようです。
当時私もレベルカラーの特色塗料が少なかったため一時マメラッカーの島田塗料さんに御願いしてプラモ用の塗料ででFSカラーを50種類位FSカラーチャートを元に造ってもらったことが思い出されます。今になってみれば楽しい思い出です。
続く

えんどう親父の模型語り2

2006/09/29
当時の模型作りの環境は現在とは全く違い、特に塗装関係では塗料としてはマメラッカー(いわゆるラッカー塗料)だけで、木製品、金属には問題ありませんがプラモデルでは素材を溶かしてしまい全く使用出来ません。プラモデルの場合その頃はせいぜいマジックの黒でタイヤやプロペラを塗って喜んでいたものでした。やがてすこしだけ頭を使いマメラッカーでも少しずつ塗ればなんとかなることが解ってきました。、さらにスプレーで塗装出来ないかということになり、その当時主流の殺虫剤の噴霧器(ポンプを手で押すやつ)たぶんアースの噴霧器で試してみました。初めのうちは全然うまくいかずボタボタ状態、その後塗料を薄めると何とかなることを会得しました。出来の方は今思い出すと恥ずかしいのですが塗面がブツブツ状態でした、それでもその頃は自慢で仲間に見せびらかしてたことが思い出されます。 最近今でもご活躍のモデラーの方から手押しのポンプの変わりに壊れた冷蔵庫のコンプレッサーを外して使ったとのご連絡をいただきました、上には上がいるもんですね。有難う御座いました。
続く